
目で見る「みなとまち・あおもり」
Minatomachi & Aomori

約340年前の青森町(弘前市立博物館蔵「青森町絵図」)※作者不明
本絵図は1671(寛文11)年に青森屋敷が建設されるなどして青森町の支配機構が整備され、現在の青森街区の基本となった町割りが形成された寛文後期(1669~72)から間もない1684(貞享元)年~1688(元禄元)年の間に作成された町絵図です。
現在の青森街区との比較ができる近世前期の代表的な絵図として知られています。
(出典:津軽デジタル風土記)

津軽信枚画像(長勝寺蔵) ※作者不明
弘前藩第2代藩主。弘前城築城、新田開発など、弘前藩の基礎を整えました。
(出典:広報あおもりR6.10月号)

森山弥七郎供養碑(油川・浄満寺)
青森のまちづくりのうち移住促進を担当。油川の浄満寺に供養碑があります。
(出典:広報あおもりR6.10月号)

「青森派之事」
津軽信枚が家臣の森山弥七郎に青森のまちづくりを命じた黒印状(「弘前藩庁日記御国日記」1697(元禄10)年4月25日条 弘前市立弘前図書館蔵)
(出典:記念冊子)

「津軽図譜」所収「青森海上泛船船中眺望図」(青森県立郷土館蔵)百川学庵画
19世紀初め、弘前藩のお抱え絵師・百川学庵(ももかわがくあん)が描いた25枚組連作の一つ。第一図「青森海上泛船船中眺望図」は、沖合の船からみた青森湊を描いたものです。
左手に八甲田、右手に岩木山が見え、手前の船は、藩主が乗る御座船として飾り立てられた永徳丸です。
(出典:青森県立郷土館HP)

「津軽図譜」所収「善知鳥祠図」(青森県立郷土館蔵)百川学庵画
19世紀初め、弘前藩のお抱え絵師・百川学庵(ももかわがくあん)が描いた25枚組連作の一つ。本図譜には、津軽地方の景勝地のほかに、藩の御用船永徳丸、ウトウ、エイ、ホウボウなど珍しい鳥魚類も含まれており、博物画的性格も併せ持っています。
「善知鳥祠図」に描かれている善知鳥宮(現・善知鳥神社)の北側には、かつての大沼が縮小したと伝えられる善知鳥沼が描かれています。
(出典:青森県立郷土館HP)

青函連絡船乗降客待合所(1900~10年代・中園裕 様提供)
(出典:記念冊子)

青森築港(1920~30年代・青森県所蔵県史編さん資料)
(出典:記念冊子)

拡大前の青森港(1960(昭和35)年10月29日・青森県所蔵県史編さん資料)
(出典:記念冊子)

最後の青函連絡船(1988(昭和63)年3月13日・青森県所蔵県史編さん資料)
(出典:記念冊子)

青函トンネル開通記念博覧会 (1988(昭和63)年7月30日・増田浩司 様撮影・青森県所蔵県史編さん資料)
(出典:記念冊子)

建設中のベイブリッジ(1989(平成元)年11月15日・増田浩司 様撮影・青森県所蔵県史編さん資料)
(出典:記念冊子)
青森港開港400年記念ステンドグラス風ねぶた絵
(青森県観光物産館アスパム 13階展望台 展示)
企画・構成:竹浪比呂央ねぶた研究所 原画・監修:竹浪比呂央 制作:手塚茂樹
青森県観光物産館アスパムの13階展望台では、地上51mの高さから、青森市街や下北・津軽・夏泊の各半島や陸奥湾、八甲田の山々、青森ベイブリッジ・八甲田丸などの昼と夜の景観が360度ぐるりと眺望できるほか、2025年に迎える青森開港400年を記念して、ステンドグラス風ねぶた絵の展示もしています。ねぶた絵は、青森港の歴史を江戸時代初期、中期、現代の三部作で表現。縦60㎝、横250㎝の和紙を組み合わせて、墨と絵具で制作されました。
眼科に広がる実景とともに、青森港の歴史を感じることができます。


1.善知鳥村の朝 Morning of Uto village
青森市は、かつては善知鳥(うとう)村と呼ばれた小漁村でした。舞い飛ぶ海鳥・善知鳥は、「ウトウ」「ヤスカタ」と鳴くと言われ、青森市安方に鎮座する善知鳥神社の由緒となっています。八甲田山の右手前に見える丘には松が青々と生い茂り、港を目指す舟の目印になったため、のちに津軽藩はこの港を「青森」と名づけました。

2.北前船集う真昼 Kitamae-ships gathering at noon
津軽藩2代藩主津軽信牧公から築港奉行を命じられたのは、藩士森山弥七郎でした。弥七郎は港を築造し、大町・浜町・米町の町割りを行い、寛永2年(1625)に開港を迎えました。北前船で北陸や京大阪から多くの人々が集まり、大いににぎわったといいます。絵は、大型北前船が群れ集う青森港を眺める弥七郎の姿です。

3.ねぶた海上運行の夕べ Nebuta floating evening
商港として栄えた青森港は、廃藩置県とともに行政経済の中心となり、明治41年(1908)の青函連絡船就航で、交通の要衝としての役割が一層高まりました。現在も国の重要港湾としての貢献度は変わりません。絵は、ねぶた祭最終日の海上運行と花火大会の情景。毎年寄港する大型クルーズ船が、国際交流の輪を広げています。


写真で見る「みなとまち・あおもり」
PHOTO Gallery

「青森」発祥の地(所在:本町2丁目)

明治末期〜大正初期の大町通り(歴史資料室蔵)

浜町桟橋
(1900〜10年代・青森県所蔵県史編さん資料)

着岸した青函連絡船
(1920年代・青森県所蔵県史編さん資料)

青函連絡船の貨車航送
(1920年代・青森県所蔵県史編さん資料)

青森駅前りんご市場(1972(昭和47)年9月9日・松村泰雄様撮影・青森県所蔵県史編さん資料)

青森駅を行く行商人
(1979(昭和54)年6月・青森県所蔵県史編さん資料)

古川での行商人と女性客(1987(昭和62)年4月1日・佐藤正治様撮影・青森県所蔵県史編さん資料)

青森商協駅前飲食街(1987(昭和62)年3月1日・佐藤正治様撮影・青森県所蔵県史編さん資料)

蜆貝の海岸で釣りをする子どもたち(1960(昭和35)年8月6日・佐藤正治様撮影・青森県所蔵県史編さん資料)

着岸する青函連絡船(1960(昭和35)年8月3日・佐藤正治様撮影・青森県所蔵県史編さん資料)

東北本線全線の複線電化(1968(昭和43)年10月1日・青森県所蔵県史編さん資料)

青函連絡船の船尾を押す補助汽船(1969(昭和44)年9月25日・青森県所蔵県史編さん資料)

解体される連絡船設備(1989(平成元)年9月11日・増田浩司様撮影・青森県所蔵県史編さん資料)

みなとまち・あおもり誕生400年記念冊子